劇団猿面劇団猿面劇団紹介

INTRODUCTION

劇団猿面はこんな劇団です

劇団猿面は、地元千葉でいい芝居をつくることを目指し活動している劇団です
劇団名の猿面は、「さるづら」ではありません。
「さるめん」のアクセントは「カルメン」と同じです。「猿面冠者」と言う時の猿面とは違います。

「演劇を観てみたいけど、どうすればいいのかわからない」
「チケットを取ったり、電車に乗ってエンヤコラ都内まで行くのは面倒」
「演劇なんて堅苦しそうだし、難しい事を言われたり、前衛的過ぎてわけがわからなかったらつまらない」
「気軽に観に行けるなら、芝居を観てみたい」
そうした皆さまに、生で観る芝居の面白さを知って欲しいと地道に活動しています。

公演は年に一回で、その稽古にほぼ一年を費やし、一作品づつ大切に仕上げています。
現在観劇料を頂いておりませんが、猿面は観に来てくださる皆さまと芝居の世界を共有できることを何よりの励みにしています。
自分たちの芝居を最良の形で受け止めてもらう為には、何をすべきか、どうあればいいのか。それを追い求めるのが劇団猿面のあり様です。

猿面の歩み

1997年  田中綾子らにより「劇団 超・猿面(スーパーサルメン)」旗揚げ

2004年  脚本・演出として しのだ冬吾(しのだ・とうご)が参加。
      既製台本による上演から脱却し、オリジナルの脚本での上演を開始

2007年  11月・第8回公演より、劇団名を「劇団 超・猿面」から
      「劇団猿面(げきだんさるめん)」に改名

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猿面の芝居

演出 しのだは、「劇のなかで、どう生きるか」を常に役者に要求します。
「虚構の世界のなかであっても、気持ちまで嘘のままでは観客は何も感じてはくれない。 自分たちが(塩梅よく)本物の気持ちを持って初めて、観客は耳を傾け、劇の世界に入ってきてくれる。 上手い・下手や段取りのよさだけを追及するような芝居はしてくれるな。 あなたたちが劇の中で息づくことが、僕の劇の理想です。」

役者たちは、この難しい要求に日々応えようとしています。

以下は、第8回公演「Blood・Blood」の公演パンフからの引用です

僕が芝居を始めてから、早25年が経とうとしています。
これまで出会った人のなかに、僕の劇に大きく影響を与えてくれた人が二人います。

一人は、演劇専門学校時代の恩師で、劇作家・演出家の金杉忠男氏です。 僕は、金杉先生(ご本人は先生と呼ばれるのはあまりお好きでなかったようですが、) から劇に関するたくさんのことを学びました。先生に出会えなければ、僕の演劇は、今の僕が最もキライな、いやらしく、表面だけの打算的なものになっていただろうと思います。 僕は、学生時代から先生に気軽に話しかけることはできませんでした。 先生のことが大好きだったのですが、恐れ多くて、先生からの言葉を待つことしかできませんでした。 シャイな先生が、僕にかけてくれた言葉の数々を、僕は今でもそのときの光景まではっきり思い出すことができます。

もう一人は、同じ演劇学校で学んだ友人です。 僕の中で彼は天才でした。そしてかけがえのない友人でした。チャンスさえ巡ってくれば、彼は一流の俳優になり、活躍できる人でした。 しかし彼は、その才能とまるで諸刃の剣のように、心弱い人でした。 卒業後、しばらくして彼は故郷に帰り、堅気の就職をしました。 そして、僕がこの劇団に参加したのと同時期に、彼はもう二度と芝居をすることはできなくなりました。 僕は芝居をつくるとき、どうしてもこの二人のことを考えます。

芝居の本番中に、金杉先生の咳払いが暗い客席から聞こえるような気がします。 よく晴れた寒い朝には、あの友人の魂が高い木の梢から、僕を見下ろしているような気がします。 今回の“Blood Blood”は、ようやく亡きこの二人に、 “僕はまだ芝居を続けています”と、誇れるものになることを僕は信じています。 今回ご協力頂いた方々、そして何よりご来場頂きました皆様に、心より感謝し、御礼申し上げます。

2007年11月 脚本・演出 しのだ冬吾

猿

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